私と水俣病を繋ぐ数奇な出会い〜ジョニー・デップ、川本輝夫、ユージン・スミス〜

大学1年生の時、佐賀に旅行へ

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熊本で生まれ、熊本に住んでいながら
水俣病について知識も興味もなかった私が、
3人の愚直で魅力的な人間に導かれ
水俣病を深く知り、自分の生き方を
見直すきっかけとなりました。

そんな数奇な出会いと、これからの
自分の生き方について話したいと思います。

⑴人間不信になった体験と、傷を癒してくれた映画

大学1年生の時、佐賀に旅行へ(大学1年生の時、右端が私)

私が大学3年生の頃、
当時所属していたサークルで、
複数の同級生や後輩から顔をあわせる度に、
何度も何度も「キモい」と言われ、
バカにされ笑い者にされていました。

飲み会に参加すれば、はじまってすぐに
コールが掛かり私だけが
潰れるまで飲まされました。

なにが気に食わなかったのか、
今でも理由はわかりませんが、
イジリやすい存在だったのだと思います。

仲の良かった友達や後輩は全員
見て見ぬ振りをし、時には
一緒になって笑っていました。

その当時、私の環境は
大好きだった祖母が亡くなり、
存在の一番大きかった父親が
病院に緊急入院。

そんな事が重なって、精神的な余裕がもてず
ある日の夜、今までに抑えていた感情が
爆発し、同じサークルに所属していた同級生の
一人に電話をかけ、怒りをぶつけ、お前の家に
今から殴りこみに行くと脅しました。

しかし、相手が家の場所を教えなかったので
行動ができず、衝動的な怒りは
不発に終わりました。

そしてそれが起因となって、
サークルでは周りの目も一段と冷たくなり、
私一人が完全に孤立。

「元々は向こうから受けた、
イジメが原因の筈なのに・・。」

と、社会全体が敵に思えるような
人間不信という大きな傷を心につくりました。

そんな中、以前から大好きだった
ジョニーデップの映画が上映されるのを知り、
すぐに大学近くの映画館に足を運びました。

映画「リバティーン」のジョニーデップ
(映画「リバティーン」より)

この映画「リバティーン」は、
作家の才能がありつつも、
誰よりも感受性が強く
物事の本質が見えるため、
心の闇を抱え、
華やかな宮廷での生活に関心を持てず
国王に逆らい、酒と女に溺れて
33歳の若さでこの世を去った
実在の人物、ロチェスター伯爵の物語。

映画の始まりから終わりまで、
終始暗く排他的な世界観で、
主人公のロチェスター伯爵が
ひたすら堕ちていき、不幸に終わる結末。

独りで静かに鑑賞し、そして
観賞後の後味の悪い余韻に浸るような
なんとも万人ウケしない映画でした。

でも私には、ロチェスター伯爵の
心の闇が共感でき、彼の孤独は
自分の抱える孤独と重なり、
心の傷を癒しました。

そしてなにより

絶望の世界に、
たった独りで生きていると
思い込んでいた私に、
こんなにも孤独でアウトサイダーな
ロチェスター伯爵を怪演できる、
これまたアウトサイダーな俳優が
生きているのかと、心が震えたものです。

そして、この時すでに
世界的大スターであったジョニーデップが
興行的には売上が見込めないであろう
このマイナーな作品を選ぶ
その魂に感動したのです。

この人は見かけや振る舞いだけでなく、
本物のアウトサイダーなのだと感じ、
今まで以上に好きになりました。

⑵水俣病に関心を持ったきっかけ

そんな私が20代の頃、
当日付き合っていた女の子と
旅行に行くことになり、
行先をピックアップしていました。

産まれてこのかた熊本から
ほとんど離れたことがない私は、
行きなれた天草や阿蘇には
ほとほと飽きていて、
熊本県内でどこかないかと調べた結果、

海があり温泉のある、そして、
一度も行ったことのない場所
「水俣」へ行くことに決めました。

当時の私は、水俣のイメージと言えば、
小学校の頃、社会の授業で習った
4大公害病の一つである水俣病のおきた場所。

チッソに人生を奪われた不幸な人たちの
住む場所というイメージしかなく、
あまりにも暗く悲しい事実から、
自然と目を逸らしていました。

旅行当日、夕方から市内を出発し、
水俣にある旅館へ直行。
たくさんの魚料理と貸切りの出来る
洞窟風呂でゆっくりと過ごしました。

翌日、旅館の女将にオススメの
観光地を尋ねたところ、
水俣市立水俣病資料館を勧められました。

他に行きたい観光地もなかったので、
女将のオススメする資料館へ向かうことへ。

資料館に着き、館内にある水俣病に関する
いろんな資料を見てまわるなか、
不意に私の目を捕らえたものがありました。

それは、ある男性が机の上であぐらをかき、
見下すように鋭い視線で
別の男性に詰め寄っている
まさしく鬼気迫る緊迫した写真。

なぜかその写真に圧倒され、
添えてある文字を一文字一文字
食い入るように読み、
ふと我に返ると、そのエリアに展示されていた
男性の全ての写真を見ていました。

この男性とは、水俣病の原因となった企業
「チッソ」との自主交渉の先頭に立ち、
並外れた行動力と人間力、そして執念で
挑み続け、人生最期のときまで闘い続けた
川本輝夫さん(1999年2月18日死去。67歳)

社長に迫る川本輝夫さん
(論理と情念を尽くし償いを迫る川本さん)

もし、川本さんの活動がなかったら、
苦しみの中で生活を強いられていた
多くの被害者が、声を上げることも出来ず
補償もなく、ただ何事もなかったように
忘れ去られていたのだと思うと、
その功績は偉大で頭が上がりません。

チッソの社長との自主交渉のやりとりの中で、
川本さんの発した魂の叫び。

その言葉を何度も読み返すたびに
今でも涙が溢れてしまいます。

⑶映画『Minamata』と、ユージン・スミスとの出会い

時は流れて、2018年。

ふと、ネットで見たニュースに
ジョニー・デップが水俣を舞台にした
映画「Minamata」の主演をつとめると知り
思わず声をあげました。

映画「Minama」より
(映画『Minamata』より)

自分の尊敬してやまない
川本さんとジョニーが、
まさかここで結びつくなんて!?

そして、ジョニーが水俣病に
関心を持ってくれたことがとても嬉しい!!

それからの私は、
ジョニーが演じるフォトジャーナリストの
ユージン・スミス について
本やネットで調べるようになり、

ユージンが、ロチェスター伯爵のように
自分の魂に正直に生き、ジャーナリズムに
強い信念を持った魅力的な
人物であることがわかりました。

そして、この役を引き受けたジョニーは
やっぱり今もあの頃と変わらない
ジョニーなのだなと嬉しく思うのでした。

⑷『人間』として生きるために、自分にできること

フォトジャーナリスト、「ユージン・スミス」
(フォトジャーナリストのユージン・スミス)

ユージンに関する情報を調べ、
再度水俣病について深く知っていくうちに
あの当時、水俣病患者に対して
国がとった無責任さ、卑劣なやり方は、

子宮頸がんワクチンの副反応による被害者や
福島原発事故に関する被災者への対応と
酷似していることに気付きました。

国という得体の知れないバケモノは、
昔も今も全く変わっていなかったのです・・。

「人間」として生きていくために個人が
どう国や社会の不正と向き合っていくべきか?

自分に何ができるのか?

歯痒い思いを抱えながら
自問する日々が続きました。

そして、導きだした答えは私の答えは、

遠くの空で苦しんでいる誰かを、
直接助けてあげることはできないけれど、

自分の得意なネットを駆使し
社会的弱者(イジメや水俣病)の
力になれるような
メッセージを発信していきたい

この世界に絶望し生きていた私のように
今もどこかで苦しんでいる誰かの
救いになりたいと強く思ったのです。

あとがき

ジョニー・デップとユージン・スミスは、
供に、母親がアメリカ先住民の
血をひいています。

これは私の推測になりますが、
そのような境遇が背景としてあったから、
2人は社会的弱者に歩み寄ることのできる
優しさや関心を持ち得たのではないか
と思います。

私自身もイジメにあい、
友達との接し方をガラリと変えました。

それまでオタク系の友達とは
距離をおいていたのですが、
自分のやっていることも
イジメをやる人間と変わらないなと気づき
頻繁に遊ぶようになりました。

また、それまでは
優柔不断な性格だったのですが、
自分の意見はハッキリと伝え
それで離れるようであれば
それまでの関係だと割り切ることによって、
必要のない人間関係を断ち切りました。

そうすると不思議なもので、
自分にとって良い影響を与えてくれる
友達だけが残っていくものです。

これからも、生きていくなかで
いろんな人間と出会うと思いますが
全ての人が自分の肥やしだと思っています。

良い人間に出会えば
その人の良いところを真似してみて

悪い人間に出会えば
その人の悪いところを反面教師として

そうやって人生を豊かに
そして、熱く生きていきたいと思います。

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